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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)5509号 判決

原告

片山直樹

被告

尾家産業株式会社

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告に対し、金四一一八万六九五〇円及びこれに対する昭和五九年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五九年七月六日午後六時頃

(二) 場所 京都市伏見区淀大下津町二三五番地先、府道奥海印寺納所線路上

(三) 加害車 普通貨物自動車(京都八八さ六三四七号)

右運転者 被告寺尾

(四) 被害車 普通貨物自動車(京都四〇た七八九九号)

右運転者 原告

(五) 態様 信号待ちのため停止中の被害車に加害車が追突し、被害車はさらにその前方に停止していた高橋美裕紀運転の普通乗用自動車(京都五七に五四二五号)(以下「高橋車」という。)に追突した。

2  責任原因

(一) 被告寺尾

被告寺尾は、加害車を運転中、脇見をして前方注視を怠つたため、本件事故を発生させた。

(二) 被告会社

被告会社は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  原告の治療の経過

(一) 原告は、本件事故直後、蘇生会病院で受診したところ、外傷性頸腕症、左胸郭打撲、左上腕捻挫、腰椎捻挫、両手関節捻挫と診断され、同年八月一七日まで通院した。

(二) 原告は、昭和五九年八月一七日から第二岡本病院に通院して治療を受けていたが、昭和六〇年七月一七日から同病院に入院した。そして、右入院中に胸郭出口症候群であると診断され、左右の第一肋骨の切除手術を受けたのち、昭和六一年一二月二六日に同病院を退院し、以後も通院を重ねた。

(三) 原告は、第二岡本病院に入院中、腰痛、両脚の痛み等の症状が改善しないため、昭和六一年七月九日から同月一五日までの間、大津市民病院に入院して腰椎の検査を受けた。

(四) なお、原告は、昭和五九年八月一八日から田村指圧鍼灸治療院にも通院して、治療を受けた。

二  争点

本件事故による原告の受傷の有無、程度並びに後遺障害の有無、程度、特に、本件事故によつて原告が胸郭出口症候群の発症に至り、重篤な後遺障害が残されたか否かである。

1  原告の主張

原告は、本件事故により頸椎鞭打ち損傷等の傷害を負い、この治療に起因して胸郭出口症候群に罹患し、これによる上肢等の症状のほか、腰部の痺れや痛み、頭痛、両眼窩神経痛、耳鳴り等を残して症状が固定し、右後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当するとして、四一一八万六九五〇円(傷害分一三九三万七三八五円、後遺障害分二七四一万五〇〇〇円、弁護士費用三〇〇万円の合計四四三五万二三八五円から既払額三一六万五四三五円を控除した金額)の損害賠償を求める。

2  被告らの主張

本件事故は軽微な接触事故であり、原告は生理的可動範囲を超えた頸部の過屈曲、過伸展をもたらすような衝撃を受けておらず、外傷性頸腕症等の傷害を負うはずはない。

仮に本件事故に起因して原告に何らかの症状が生じたとしても、原告の症状はさしたる他覚的所見のない頸椎鞭打ち損傷であり、長期の入通院加療を要したり後遺障害を残すものではない。特に、原告の長期加療の原因は主として胸郭出口症候群によるものであるところ、これは先天性もしくは既往のものであり、本件事故との因果関係はない。また、原告の第二岡本病院の当初の入院加療は腰痛の検査のためであるところ、腰痛の原因は本件事故と因果関係のない巨大馬尾症によるものであり、右入院と本件事故との間には因果関係は存しない。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び原告の受けた衝撃の程度

1  前記第二の一1、2の争いのない事実に、甲一号証、二一号証の13、二四号証の4~12、16~18、原告本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実が認められる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に当たり特に用いた証拠である。)。

(一) 本件事故現場は、アスフアルト舗装された平坦な道路であり、事故当時の天候は曇りで、路面は乾燥していた。(甲一、二四の5、16)

(二) 被告寺尾は、車両重量二二三〇キログラムの加害車(冷蔵冷凍車)に約三〇〇キログラムの荷物を積載し、同僚一人を乗せて、時速約四〇キロメートルの速度で本件道路を西から東に向かつて進行中、前方に車が渋滞しているのを認めたので、アクセルを緩め、減速しながらその後方に停止しようとしたが、対向車の方に脇見をしたため、最後尾に停止していた被害車を約三・八メートル手前になつて発見し(このときの加害車の速度は時速約二〇キロメートルまで落ちていた。)、咄嗟にブレーキをかけたが及ばず、加害車前部バンパー付近を被害車の後面に衝突させ、加害車は約一・一メートル進行して停止した。(甲二四の5~9、10、16、17)

(三) 原告は、車両重量七五〇キログラムの被害車(軽貨物自動車)に、荷物は積載せず、一人で乗車して本件道路に進行中、前方が渋滞していたため、高橋(昭和八年二月一一日生、当時五一歳)運転の高橋車に続いてブレーキを踏んで停止していたところ、突然、後方から加害車に追突され、その衝撃により、被害車は前方に約一・一メートル押し出されて、被害車の前部バンパーが高橋車(車両重量九六〇キログラム)の後部バンパーに衝突し、被害車は加害車と高橋車にはさまれ、密着した状態で停止した。

原告は、本件事故当時シートベルトを着用しておらず、右二回の衝突により、上体が前後に揺れるなどの衝撃を受けた。なお、高橋は本件事故により受傷しなかつた。(甲二四の5~9、11、12、18)

(四) 本件事故により、各車両は次のとおり損傷した。(甲二四の4~9、18)

(1) 加害車

前部バンパー凹損

(2) 被害車

後部扉、後部バンパー、前部バンパー、パネルが凹損、後部指示器のレンズ破損(被害約三〇万円)

(3) 高橋車

後部バンパー凹損(軽微、被害約五万円)

2  以上の事実が認められるところ、原告本人尋問の結果中には「追突されたときのシヨツクはとても強かつた。」「頭をフロントガラスで打つた。」旨の供述部分が存し、また、甲二号証(原告作成の事故発生状況報告書)中には「加害車の速度は時速八〇キロメートルである。」旨の記載部分が存する。

しかしながら、前記加害車の停止するまでに要した距離、被害車が前に押し出された距離、各車両が密着した状態で停止したこと、各車両の損傷の程度等を考えると、加害車が時速八〇キロメートルもの速度で追突したものとは認められず、時速約二〇キロメートルまで減速中、さらにブレーキをかけたとする被告寺尾の供述は信用できるというべきである。また、原告は、本件事故直後、警察官に対して頭部を打撲したことは述べておらず(甲二四の18)、また、後記の蘇生会病院のカルテによつても、頭部を打撲したような所見も窺われないので、この点に関する原告の前記供述部分も信用することはできない。

3  右認定の事実によれば、本件事故はごく軽微な接触事故であるとも認められないが、原告が身体に受けた衝撃の程度は、比較的軽微なものであつたと推認することができる。

二  原告の症状及び治療の経過

前記第二の一3の争いのない事実に、甲三ないし二〇号証、二一号証の1~13、二二号証の1~26、二四号証の18、19、二五号証、二八号証、乙六ないし八号証の各1、2、証人田中弘伸の証言、原告本人尋問の結果及び鑑定人大城孟による鑑定の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告の本件事故前の健康状態、既往症等

原告は、昭和三三年七月二〇日生まれ(本件事故当時満二五歳)の男性であり、二〇歳のときに急性肝炎に罹患したことがあるほかは特に病気にかかつたことはなく、昭和五八年一一月(本件事故の約八か月前)に行われた身体検査では、身長一八四センチメートル、体重七四キログラム、胸囲九三・五センチメートルであり、眼疾、耳疾その他の異常は認められず、聴力は正常、視力は左右とも一・五と診断されていた。

なお、原告は、本件事故の約一年半前に追突事故にあい、約一年間通院したことがあるが、本件事故当時はそれによる症状はなかつた。(甲二四の18、二八、乙六の1、原告本人)

2  蘇生会病院における症状及び治療の経過

原告は、本件事故後直ちに救急車で蘇生会病院(京都市伏見区所在)に搬送され、項部、腰部、左胸郭(乳首より下の部分)、左上腕部の痛みを訴えて外傷性頸腕症、左胸郭打撲、左上腕捻挫、腰椎捻挫、両手関節捻挫により三週間の加療を要すると診断されたが、このとき嘔気はなく、左手の運動機能の障害も認められなかつた。

原告は、その後も頸部、背部、左上腕部、腰部等の痛みを訴え、投薬、モビラート処置等の治療を受けていたが、その訴える症状はさほど変わらず、昭和五九年七月三〇日には症状に変化なしと診断され、同年八月八日には体操をするように指示された。原告は、同月六日には左第四指の痺れ感を、同月一七日には左手指尖端及び左足爪先の痺れ感を訴えたが、同日の通院をもつて同病院への通院を中止した(実通院日数二四日)。

なお、同病院において、頸部・腰部のレントゲン写真撮影、頭部CT検査、聴力検査等が行われたが、外傷に起因するような異常は認められず、また、視野、眼底にも異常は認められなかつた。(甲三、二一の2、3、5、8~13、二四の19)

3  第二岡本病院に於ける症状及び治療の経過

(一) 原告は、昭和五九年八月一七日、第二岡本病院(宇治市所在)で受診し、指趾先部の痺れ感、後頭部痛等を訴え、頸椎捻挫、腰痛と診断され、同日から鎮痛剤、筋弛緩剤等の投薬とともに、頸部及び腰部の牽引、温熱療法の物療が開始された。

原告は、その後、眼痛や下腿部痛(同年一〇月頃から)も訴え、昭和六〇三月までの間に同病院に一か月当たり六ないし八回ほど通院していたが(ただし、昭和五九年一二月は一一回)、昭和五九年一一月以降は物療のみの治療となり、昭和六〇年四月二六日に通院したのちは、同年五月二九日及び同年六月一八日にそれぞれ通院して物療を受けたのみであつた。

しかし、原告は、同年七月九日になつて通院を再開し、腰痛、両下肢の痛み等を強く訴え、検査目的で昭和六〇年七月一七日から入院した(なお、第二岡本病院の通院カルテ(甲二七の1~37)を見ると、昭和五九年一〇月一一日以降昭和六〇年七月一〇日までの間で医師の所見の記載があるのは同年四月三日のみであり、右期間中の原告の症状の推移や治療の効果は不明である。)(甲四、二七の1~12、乙六の1、田中証言)。

(二) 入院当初の原告の主訴は、腰部痛、両下腿疼痛、頸部痛であり、頭痛や嘔気の訴えはなかつたが、しばらくすると、原告は、全身痺れ感や頭痛等を訴えるようになり、さらに、昭和六〇年七月二三日には左肩が硬い感じがすると訴え、その後も、両肘内側部痛(同月三一日)、両上肢痺れ感、左第四指痺れ感、両手の甲の痛み(同年八月一日)、両上肢痺れ感、左肩痛(同月二日)、両肘から手指間の痺れ感(同月一二日)、左肩から左上腕部にかけての痛み(同月二三日)、両肩から左上腕部の痛み(同月二四日)、左上腕痛、挙上時の痺れ感(同年九月二日)、両肩、両上腕部の痛み、左手掌痺れ感(同月二一日)など、日によつて部位、程度は異なるものの、肩や上肢の異常を訴えるようになり、同年八月二七日に行われた脈波検査では、左上肢に循環障害が認められるとされた。(乙六の1、2、田中証言)

(三) 原告は、その後も肩、上肢の異常を訴えていたが、同年一一月七日には両上肢は触るだけでも痺れてくると訴え、さらに、両肩、両肘部の痛みのほか、両肘関節の痛み痺れ(同年一一月三〇日、同年一二月一日)、左上肢の鬱血感(同月六日)、両肩のつまるような感じ(同月一四日以降)、右示指の冷感(昭和六一年一月四日)、体動時の右第一指の疼痛(同月一三日)なども訴え、症状の改善が見られなかつた。

こうしたことから、原告は、第二岡本病院の主治医の田中弘伸医師の指示により、昭和六一年二月五日から同月七日の三日間、京都第一赤十字病院の心臓血管外科に入院し、胸郭の血管造影検査等を受けたところ、原告については、両上肢挙上により痺れ、冷感が生じ、脈波の触知が不能となり、血管造影所見でも両側とも胸郭出口症候群であると診断された。

そして、同科の医師の所見も手術適応とされ、田中医師も、原告の訴える上肢の痺れ感等の症状は、肋骨を切除し、神経血管束に対する圧迫を取り除かなければ改善しないと判断し、原告は、昭和六一年二月一三日、左第一肋骨の切除手術(なお、鎖骨については、肋骨切除のためいつたん切り離したのち、プレートで固定する。)を受けたところ、左上肢の痺れ感等は軽快し、左肩痛や左上腕痛を訴えることも少なくなつた。(甲六、二一の2~5、7、二二の21、乙六の1、2、田中証言)

(四) 原告は、その後も同病院に入院して手術部に対する手当てを受けていたが、肩部、上肢に関しては、ときどき左肩痛、左肘部痛、左第五指の痛みや痺れ感を訴え、右上肢についても、痛みや痺れ感をときどき訴え、右側についても手術を希望していた。なお、原告は、昭和六一年一月以降は、日によつて異なるものの、腰痛や頸部痛、頭痛を訴えることが少なくなり、「特変なし」とされる日が多くなつていたが、腰痛、右大腿部痛等の症状は残存していた。

原告は、後記の大津市民病院に入院するため、同年七月九日にいつたん退院したが、同月二九日から再び第二岡本病院に入院した。そして、原告は、当初は主として左鎖骨の手術部や左胸郭の痛み、頭痛等を訴えていたが、同年八月二七日にときどき右手が痺れると訴え、同年九月二日には右手の痛みを訴え、同月九日、右第一肋骨の切除手術(前記同様、鎖骨は切り離したのち、プレート固定)を受けた。原告は、その後も同病院に入院を続けて同年一一月四日に鎖骨の抜釘術を受け、同年一二月二六日に退院した。(乙六の2、七の1、2、田中証言)

(五) 原告は、その後も、同病院に通院して両肩に対するマイクロ波治療、運動療法、頸椎・左上肢に対するマツサージ等の治療を受けていたが、昭和六二年九月二一日から同年一〇月二日まで入院して鎖骨のプレートを除去する手術を受け、その後も昭和六三年三月一五日まで痛院していたところ、後記のとおり、昭和六三年四月二二日に症状が固定したと診断された。(甲二七の13~18、25~30、乙八の1)

(六) 原告は、同病院に入院中、鼻の異常を訴えて、昭和六〇年九月一八日に慢性副鼻腔炎、鼻中隔弯曲症と診断されて治療を受けたほか、両眼の痛み等を訴えて昭和六〇年一一月二七日から同病院の眼科で受診して、眼精疲労、両眼眼窩神経痛と診断された。

また、原告は、右入院中、右外耳道炎(昭和六〇年九月一八日)、慢性胃炎(同年一二月一九日)、狭心症(疑い)(昭和六一年七月八日)と診断され、さらに、同年一二月二五日には、歩行時に首を回すとふらついたり、同時に大きな音を聞いたとき耳に響く感じがする。耳鳴りがするといつた訴えについて、メニエル病の可能性があると診断された。(甲八、乙六の1、八の2)

4  大津市民病院における診断結果

前記のとおり、原告は、第二岡本病院に入院中、腰痛、両下腿の痛み及び知覚障害についても治療を受けていたが、症状が改善しないため、田中医師は、昭和六一年七月頃、腰椎分離症の存在を疑い、精査の目的で大津市民病院に紹介することにした。そして、原告は、昭和六一年七月九日から同月一五日までの七日間、大津市民病院神経外科に入院して、脊髄の造影検査を受けたところ、典型的な巨大馬尾症と診断された。(甲二三の2、3、10、17、22~26、田中証言)

5  田村指圧鍼灸治療院における治療

原告は、第二岡本病院通院中の昭和五九年八月一八日から昭和六〇年七月一六日までの間、田村指圧鍼灸治療院に一一九回通院して、指圧、整体、鍼灸の治療を受けた。(甲五、七)

6  症状固定の診断

原告は、前記のとおりの治療を受けたが、昭和六三年四月二二日、田中医師(当時は大和病院に勤務)によつて、次のとおりの後遺障害の診断がなされた。(甲二五)

(一) 傷病名 頸腰椎捻挫、胸郭出口症候群、左坐骨神経痛

(二) 症状固定日 昭和六三年四月二二日

(三) 症状 偏頭痛、両眼痛、飛蚊症、耳鳴り、両側の耳から眼にかけて疼痛(雨の日)、眩暈の発作、唾液を飲み込むときの右顎・左顎関節の疼痛、左頸部の重い感じと両乳様突起に痛み、屈曲時の激痛、右項部の鈍痛、頸部痛がときどき著明となり、運動不能となる、両肩のつまり、両肘運動痛、緊張時に両上肢の痺れ感、両手背の変色(手の位置による)、腰痛(重量物の運搬が困難)、両大腿外側痺れ感(腰部伸展時に強くなる)、長時間の坐位による両膝の疼痛等

(四) 障害内容の憎悪・緩解の見通し 改善の見込みなし

三  原告の受傷内容、症状と本件事故との関係、後遺障害の有無、程度

1  原告の受傷内容

(一) 前記一及び二2の事実によれば、原告は、本件事故により、頸椎捻挫、左胸部打撲、左上腕捻挫、腰椎捻挫の傷害を負つたものと認めるのが相当である。原告は蘇生会病院の医師により両手関節捻挫の傷害を負つたと診断されたものであるが、本件証拠上、それを裏付けるに足りる原告の症状があつたことは認められず、これに本件事故の態様を併せ考えると、原告が本件事故により右のような受傷をしたことはにわかに認めがたいというべきである。

被告らは、本件事故は軽微な接触事故であり、原告は生理的可動範囲を超えた頸部の過屈曲、過伸展をもたらすような衝撃を受けていないので傷害を負うはずはないと主張するが、前記認定の本件事故の態様、原告の初診時の所見及びその後の症状の経過に照らし、右主張は採用できない。

(二) 右のとおり、原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたものと認められるが、大城鑑定によれば、いわゆる頸椎鞭打ち損傷を(1)頸椎捻挫型、(2)神経損傷型(〈1〉根症状型、〈2〉脊髄症状型)、(3)自律神経障害型に分けた場合、原告の受傷直後の蘇生会病院における臨床所見及び昭和五九年八月一七日までの症状の経過に照らすと、原告の頸部に関する症状は、右(1)の頸椎捻挫型の症状とみるのが相当であること、原告は、その後、手指・足趾の痺れ、耳介部痛や頭痛、耳鳴り、眼痛等を訴えていることが、頸椎損傷部位と同部神経支配領域との関係でみると臨床症状が一致しなかつたり、症状発現の時期等に照らし右(2)の神経損傷型ないしは(3)の自律神経障害型とみることも困難であるとされ、以上の点に、前記一の受傷機転及び本件事故による衝撃の程度等を併せ考慮すると、原告の頸椎捻挫は、神経損傷にまで至らない、自覚症状中心の軽症のものであつたというべきである。

また、前記本件事故の態様、原告の症状及び治療の経過等に照らすと、左胸郭打撲、左上腕捻挫、腰椎捻挫の各傷害も軽症に属する程度のものであつたと推認するのが相当である。

2  胸郭出口症候群の発症と本件事故との関係

(一) 胸郭出口症候群の症状、発症のメカニズム等

甲二九号証、乙二号証の1、2、田中証言及び大城鑑定によれば、胸郭出口症候群の症状、発症のメカニズム等は次のとおりである。

(1) 症状

胸郭出口症候群とは、腕神経叢と鎖骨下動脈からなる神経血管束が胸郭出口において圧迫されることによつて環境障害や神経障害を呈する疾患の総称であり、頸肋症候群、前斜角筋症候群、肋鎖圧迫症候群、過外転症候群などがこれに属する。

胸郭出口症候群の症状は、痛み、痺れ、だるさが三大症状であり、項頸部、胸背部から上肢の筋肉の痛み、凝り、だるさ、上肢の痺れ、脱力感、腫れぼつたさ、チアノーゼ、蒼白、冷感等の症状が主たるものであるが、二次的に顔面の痺れ、発汗異常や眩暈、嘔気などの自律神経症状や心因性の症状が加味されて複雑な病態を呈することがあるとされる。

(2) 発症のメカニズム

前記神経血管束は、頸部から上肢部に移行する際、絞扼や圧迫を受けやすい三つの関門、すなわち、〈1〉斜角筋三角(内側は前斜角筋、外側は中・後斜角筋で囲まれた部)、〈2〉肋鎖間隙(前方は鎖骨、後方は第一肋骨で囲まれた部分)及び〈3〉小胸筋間隙(前方は肩甲骨烏口突起と小胸筋で、内側は肋骨で囲まれた部分)を通過するが、その際、付近の各種組織(斜角筋群、鎖骨下筋、頸肋、小胸筋等)によつて圧迫されることにより、上肢に知覚、運動障害を来す。

右のとおり、神経血管束は、解剖学的にいつて前記各部位においてもともと圧迫を受けやすいところ、斜角筋群の肥厚、その付着物の異常、小斜角筋や頸肋あるいは繊維性索状物等の異常があつて斜角筋三角が狭くなつていたり、あるいは、撫で肩であつたり、鎖骨が真つ直ぐで生理的前弯が少なくて肋鎖間が狭かつたりした場合に、発症しやすいされている。また、この発症は女性に多く、一方、撫で肩の物に多く発症するが、男性では筋肉質の者が多いとされ、発症年齢は二〇歳台と三〇歳台が大半である。さらに、本症は、手や腕を使う仕事に従事してきた者、激しいスポーツをしてきた者、姿勢が悪い者等に発症しやすいともされている。

(3) 外傷との関係

こうした病態が、交通事故等の外傷に起因して発症する場合としては、次のような場合が考えられるが、実際には外傷性の胸郭出口症候群と診断された症例は少なくなく、先天性の胸郭出口症候群との鑑別は容易ではないとされる。

ア 外傷が直接原因となつた場合

〈1〉 外傷により鎖骨骨折を起こし、神経血管束を圧拝、圧迫するような変形を残した場合であり、発症時期は、受傷直後ないし変形治療後一ないし六か月とされる。

〈2〉 外傷に起因して前斜角筋萎縮又は同筋内血腫が生じ、斜角筋三角が狭小化した場合であり、発症時期は、受傷後〇ないし三か月とされる。

〈3〉 外傷により胸鎖乳突筋など鎖骨挙上位に関与する筋群が麻痺したり、肩が下垂し肋鎖間隙が狭小化した場合であり、発症時期は、受傷後〇ないし三か月である。

イ 外傷が間接原因となつた場合

長期にわたる頸椎固定や物理療法が誘因となつて、胸鎖乳突筋など鎖骨挙上位に関与する筋群が廃用性萎縮を来した場合や、同筋群などに分布する血管系ないし神経系に障害が残り、器質性萎縮を来した場合であり、発症時期は、一ないし六か月とされる。

(4) 体質的素因、既往の生活歴等との関係

胸郭出口症候群の発症には、次のような体質的要因、既往の生活歴等も関係しているとされる。

ア 解剖学的にみて、斜角筋三角、肋鎖間隙又は小胸筋間隙が狭小化している体質であり、頸肋症、鳩胸症、クル症、頸椎先天性線維帯症等である(大城鑑定でいう「顕性型」)。

イ 前者のような顕性型には属しないが、ある条件が加わることにより発症するような場合であり、具体的には、斜角筋三角、肋鎖間隙又は小胸筋間隙が病的なほどではないがやや狭い人が、港湾労働者、マツサージ師、キーパンチヤーなどの職業につき、斜角筋が緊張、肥大化し、発症するケースである(同「非顕性症」)。

ウ 体質的にはむしろ健常とみるべきであるが、発育、成長、生活の過程で異常を来してくる場合で、胸郭出口症候群が子供より大人に多いこと(大人になるに従い肩が下垂する、胸壁が下垂し、これに伴つて鎖骨が下後方に偏在するなど)、男性より女性に多いこと(女性は男性よりも体型上鎖骨が長い、肩が下垂するなど)、身体を使う人に多いことなどの理由にあげられている(同「非定型型」)。

(二) 原告の胸郭出口症候群罹患の有無、発症時期

(1) 原告の胸郭出口症候群罹患の有無、症状の特徴

前記二の原告の症状及び治療の経過に大城鑑定によれば、原告に胸郭出口症候群が発症したことは明らかであるところ、大城鑑定によれば、原告の臨床所見の特徴として、〈1〉上肢挙上による痺れが強い、特に前腕に強く、左に強い、〈2〉手運動で痺れは強い、〈3〉両上肢とも外転最上位で脈波が消失するといつた点が指摘され、これらのことから、解剖学的には、肋鎖間隙ないし斜角筋三角が狭小化している症例ではないかと推測され、動脈撮影の所見では、a鎖骨下動脈は左右とも肋鎖間隙で圧迫される、b挙上位では鎖骨下縁で強く圧迫されるといつた所見が見られ、この所見によれば、動脈圧迫は斜角筋三角よりも肋鎖間隙、特に鎖骨下縁で強いとされている。

(2) 発症時期

ア 前記二2、3(一)のとおり、原告は、蘇生会病院通院中の昭和五九年八月六日に左第四指の痺れ感を、同月一七日に左手指尖端の痺れ感を訴え、第二岡本病院に通院を開始した直後に手指先の痺れ感等を訴えているが、大城鑑定によれば、右各症状は頸椎捻挫に起因する症状とみるべきである。

その後は、第二岡本病院の通院カルテには症状の記載が乏しく、このことから原告が特に強く訴えた自覚症状もなく、また、医師が関心を持つほどの所見もなかつたと推認することができ、右通院中に胸郭出口症候群が発症したものと認めることはできない。

イ ところで、原告は、昭和六一年二月初め京都第一赤十字病院において胸郭出口症候群の確定診断を受けたものであり、少なくともその時点までに同症の発症をみていたものであるところ、〈1〉原告は、第二岡本病院入院後の昭和六〇年七月二三日に左肩が硬い感じがすると訴え、その後も、後頭部から肩にかけての痛み、両肘内側部痛、両上肢痺れ感、左肩から左上腕部にかけての痛みなどを訴え、同年九月二日には挙上時の痺れ感を、同月二一日には左手掌痺れ感を訴えるなど、日によつて部位、程度は異なるものの、肩や上肢の異常を訴えるようになつたこと、〈2〉昭和六〇年八月二七日の脈波検査で左上肢に循環障害が認められたことなどを総合すれば、原告の胸郭出口症候群の発症時期は、昭和六〇年八月ないし九月頃と推認するのが相当である。

(三) 本件事故との因果関係

(1) 本件受傷が直接又は間接の原因となつた可能性

前記認定の原告の受傷内容によれば、まず、原告が鎖骨付近を受傷したことは認められず、前記(一)(3)ア〈1〉の原因によるものであることは否定され、また、前斜角筋萎縮及び胸鎖乳突筋麻痺の原因(前記(一)(3)ア〈2〉、〈3〉)についても、大城鑑定によれば、原告の発症時期や胸郭胸郭の所見が正常であつたことなどから否定すべきである。

次に、胸鎖乳突筋の萎縮等によつて発症した可能性(前記(一)(3)イ)については、大城鑑定によれば、このような筋萎縮がある場合は、通常、斜頸となり顔が患側に傾くところ、原告にはこのような所見はなく、また、両側が同時に萎縮していたと考えたとしても、原告にこのような異常所見は認められず、右原因によつて発症した可能性についても消極的になるとされる。

以上のほか、本件事故の態様、原告の受けた衝撃の程度等を総合すれば、本件事故による外傷に起因して原告に胸郭出口症候群が発症したものと認めることは困難であり(大城鑑定は、高いパーセントで否定的となるとする。)、「原告の場合、頸部に対する外傷が直接又は間接的な引き金となつて胸郭出口症候群が発症した。」とする田中医師の所見(田中証言、乙六の1)は採用することができない。

(2) 原告の体質的素因ないしは本件治療との関係

前記のとおり、胸郭出口症候群の発症には体質的素因等が関係することがあるところ、大城鑑定は、原告の場合、事故前の健康状態、症状の推移等に照らし、体質的素因があつて典型的な胸郭出口症候群が発症したとは認めがたく、むしろ、原告は健常人であつても発症しうる肩下垂(鎖骨の下方偏位)によつて発症したものと推測しており、このことに前記原告の臨床症状及び造影所見の特徴等を考慮すると、原告は、肩下垂によつて本症の発症に至つたものと推認することができる。

ところで、大城鑑定では、肩下垂は頸背部諸筋の筋力低下に起因するものであり、原告が長期にわたり入院生活を繰り返し、かつ、牽引療法や安静療法を続けていたことと無縁ではないとしている。しかしながら、〈1〉原告は第二岡本病院に入院後に胸郭出口症候群の発症を窺わせる症状を訴えるようになつたものであり、それまで長期間入院したことはなく、また、その通院状況に照らし、肩下垂を来するような長期間の安静を続けていたものとも認められないこと、〈2〉原告は、蘇生会病院及び第二岡本病院の通院中に頸部の牽引療法を受けていたが、昭和五九年一一月以降の症状の経過等は不明であり、原告が胸郭出口症候群の発症を窺わせる症状を強く訴えたり、医師が関心を持つほどの所見もなかつたと推認することができることを考慮すると、原告の症状の発現ないしは症状の拡大と牽引療法等の関係をまつたく否定することができないにしても、そこに相当因果関係を肯定することはできないというべきである。

(3) 以上によれば、原告が肩下垂を呈するに至つた原因は明らかではないにしても、本件事故との関係でいえば、本件事故に起因して胸郭出口症候群の発症に至つたものとは認めるに足りないというべきである。

3  巨大馬尾症の発症と本件事故との関係

(一) 巨大馬尾症の概念、発症のメカニズム等

田中証言及び大城鑑定によれば、巨大馬尾症とは、馬尾神経(脊椎の一番最後の部分にある神経)部の硬膜嚢が異常に肥大化する疾患であり、それが原因となつて長期間にわたる腰痛や下肢痛が発生することがあるとされる。その病因は不明であるが、先天性のもののほか、既往歴には外傷、分娩、ぎつくり腰等が見られるとされている(ただし、大城鑑定によれば、巨大馬尾症については、本邦において未だ確立された疾患として認められていないようであり、また、大津市民病院の神経内科及び神経外科が特に本症に興味を持ち、臨床研究を行つているようである。)。

(二) 本件事故との関係

前記のとおり、原告は、大津市民病院神経外科において、脊髄の造影所見等から巨大馬尾症と診断されたものであるが、同科の西浦巌医師によると、同科での過去六年間の集計で二〇〇〇例中約三〇例の発生をみており、外傷を契機に発症し、原告の主訴のような訴えをすることが多いとされている(甲二三の26)。

しかしながら、前記のとおり、原告は本件事故直後から腰痛を訴えていたところ、外傷、特に本件のように比較的軽度の衝撃によつて馬尾神経が膨大化する機転は不明であるうえ、大城鑑定によれば、〈1〉原告の腰部及び下肢の多彩な症状は、受傷から約一年後の第二岡本病院に入院してからのものであること(それまでのカルテ等からは窺えない。)、〈2〉これらの症状は、「この奇型では神経原性膀胱症状や下肢に放散する痛みが主要な症状である。」あるいは「痛みの拡がりは、腰部、大腿部までで止まり、椎間板ヘルニアでの根症状のような下腿部、足部までの痛みか放散することは少ない。」とされていることと必ずしも一致していないことなどから、巨大馬尾症が認められるにしても、外傷との関係は不明であり、因果関係を推測するのは極めて困難であるとしている。

したがつて、脊髄造影等から原告に巨大馬尾症の所見が認められ、これに起因して原告の腰痛等が生じている可能性は否定できないとしても、本件証拠上、原告が本件事故によつて巨大馬尾症の発症に至つたものとは未だ認めがたいというべきである。

4  相当な治療期間

(一) 前記のとおり、原告は本件事故により頸椎捻挫及び腰椎捻挫、左胸郭打撲、左上腕捻挫の傷害を負つたものと認められるところ、その受傷の程度及びその後の症状や治療の経過に照らすと、左胸郭打撲、左上腕捻挫の症状は間もなく軽快し、頸椎捻挫及び腰椎捻挫の症状が残されたものと認めることができる。

(二) ところで、前記のとおり、原告の頸椎捻挫は神経損傷に至らない軽度のものであり、大城鑑定によれば、もともと右のような疾患は、約一か月の加療で急性症状は軽減し、その後は不定愁訴が加わつた慢性症状が続くが、症状の大半は患者の訴える自覚症状であり、その改善、治癒の判断は極めて困難であるところ、本件においては、第二岡本病院の通院カルテには臨床症状の記載がなく、治療の効果がわからないので、必要かつ十分な加療期間を推定することはできないとされる。また前期のとおり、原告は長期間にわたつて腰痛を訴え、さらに第二岡本病院に入院したものであり、腰椎捻挫に起因して長期の治療を要したものと考えられないではない。

しかしながら、まず、〈1〉原告の頸椎捻挫及び腰椎捻挫は軽症に属するもの認められ、原告の症状は、他覚的所見に乏しい自覚症状が主体のものであること、〈2〉頸椎捻挫に関し、田中医師は、診察当初、胸郭出口症候群の発症がなければ、だいたい半年くらいで軽快する程度であつたと判断していること(田中証言11~12丁)、〈3〉前記症状及び治療の経過、特に、第二岡本病院通院中の治療は、当初から物療が中心であり、しかも、昭和五九年一一月以降は投薬もなく、その物療の内容もほとんど変わつていなかつたところ、原告は、昭和六〇年四月二六日に通院して以来、同年五月二九日まで通院を中止していること、〈4〉原告は、同年七月九日から通院を再開し、同月一七日には入院をするに至つたが、そこでの主たる訴えは腰痛及び両下腿部痛であり、その原因は巨大馬尾症による可能性もあることなどを総合考慮すると、原告の症状は、遅くとも昭和六〇年四月末頃には頸部痛等の自覚症状を残して固定していたものと推認され、それまでの治療が本件事故と相当因果関係に立つ治療というべきである。

5  原告の後遺障害の内容及び程度

前記症状及び治療の経過によれば、昭和六〇年四月末頃において、頸部痛等の頸部の症状が残されていたものと推認することができるが、大城鑑定によれば、原告の症状は相互に関連性がなく、大半は他覚的所見の裏付けのない不定愁訴というべきものであること、原告の上肢所見の多くは胸郭出口症候群の症状であり、眼、耳等の症状は、本件事故に起因する頸椎捻挫に関する症状である可能性もあるが、そうであつても前記後遺障害別等級表に定める後遺障害に該当するともいえず、神経所見については、一四級に相当するかどうか疑問とされていることなどを考慮すると、原告に、本件事故に起因して前記後遺障害別等級表に定める程度に達するほどの後遺障害が残されたものと認めることは困難である。

なお、その当時、原告に腰痛等の腰部に関する症状が残存していたことも想像できなくもないが、前記4で認定、説示したことを考慮すると、本件事故と相当因果関係に立つ症状が残存し、しかも、それが後遺障害別等級表に定める後遺障害の程度に達するほどのものであつたことを認めることはできないというべきである。

四  損害額

1  治療費 四四万一四三五円

(一) 蘇生会病院分 二二万二六八五円

蘇生会病院における治療のため、右金額を要したことは当事者間に争いがない。

(二) 第二岡本病院分 二一万八七五〇円

前記のとおり、原告の症状は昭和六〇年四月末頃には固定したものというべきところ、第二岡本病院における昭和五九年八月一七日から昭和六〇年六月三〇日までの治療のため二一万八七五〇円を要したことは当事者間に争いがない。そして、同年四月末までに要した治療費とそれ以降の治療費を明確に区別する資料はないうえ、同年五月及び六月の通院は合計二日に過ぎず、いずれも物療を受けたのみであること等を考慮し、右の二一万八七五〇円を本件事故による相当損害と認めることとする。

(三) 田村指圧鍼灸治療院分 〇円

前記のとおり、原告は、昭和五九年八月一八日から昭和六〇年七月一六日までの間に田村指圧鍼灸治療院に通院して、指圧、整体、鍼灸の治療を受けたものであるが、原告は、その当時、第二岡本病院で治療を受けていたところ、右鍼灸治療は医師の指示によるものではなく、自分の判断で受けたものであること(原告本人)、また、右治療による特段の効果は本件証拠上窺えないことからすれば、右治療に要した費用を本件事故に起因する相当損害と認めることは困難である。

2  入院雑費 〇円

前記のとおり、原告が第二岡本病院に入院したのは、腰痛及び両下腿痛がひどくなつてその精査をするためであり、その後入院を継続したのは、腰痛や両下腿痛のみならず、胸郭出口症候群の症状及びその治療のためであつて、いずれも本件事故との相当因果関係は認めがたいものである。したがつて、原告の入院のため雑費を要したとしても、それを本件事故による相当損害と認めることはできない。

3  通院交通費 〇円

前記のとおり、原告は蘇生会病院及び第二岡本病院に通院したが、そのために通院交通費を要したこと及びその額を認めるに足りる証拠はない。

4  休業損害 一三七万五〇〇〇円

(一) 甲二六号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は、高校を卒業後、デパートに勤務するなどしたが、二〇歳のときからアダルトビデオや大人の玩具を販売する店で働き、本件事故当時は、アダルトビデオの販売業を営んで、妻と長男(昭和五七年一二月一〇日生まれ)を扶養していたことが認められる。

ところが、原告は、本件事故当時、右の販売業により、月額二五万円を下らない収入があつたと主張し、原告本人尋問の結果中には、月に四〇ないし五〇万円の収入があつた旨の供述部分が存する。原告の右の収入については、右供述部分以外に的確な証拠はないが、原告の生活状況や昭和五九年賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者の二五歳ないし二九歳の平均年収額が三一三万八七〇〇円であることに照らすと、原告は、本件事故当時、右の仕事により一か月当たり二五万円程度の収入は得ていたものと推認するのが相当である。

(二) 前記のとおり、本件事故と相当因果関係に立つ治療期間は昭和六〇年四月末までの約一〇か月間と認められ、その間に生じた休業損害が本件事故による相当損害というべきである。

そこで、前記認定の原告の症状の内容、程度、通院状況に、蘇生会病院の津田医師は、昭和五九年八月一一日の時点において、原告の就業が不可能な期間としては昭和五九年七月六日から同月二六日までの三週間と診断したこと(甲三)、原告の仕事の内容等を併せ考慮すると、原告については、本件事故に起因して、当初の三か月間は一〇〇パーセントの、その後の三か月間は平均して五〇パーセントの、残りの四か月間は平均して二五パーセントの割合で休業損害が生じたものとするが相当である。

したがつて、前記年収額を基礎として、原告の休業損害を算定すると、次のとおりとなる。

(算式)

250,000×3+250,000×0.5×3+250,000×0.25×4=1,375,000

5  逸失利益 〇円

前記のとおり、原告については、症状固定とすべき時点において、頸部痛等の本件事故に起因する後遺障害が残されたものというべきであるが、その内容、程度に照らし、原告が、労働能力を一部喪失し、現実に収入が減少するに至つたものと認めることはできない。

6  慰謝料 八〇万円

前記認定の諸般の事情を総合すれば、原告の慰謝料としては、八〇万円とするのが相当である。

(以上合計 二六一万六四三五円)

五  損害の填補

1  被告らは、本件交通事故の損害の填補として、次のとおり合計三一六万五四三五円を支払つた(当事者間に争いがない。)。

(一) 蘇生会病院の治療費として 二二万二六八五円

(二) 第二岡本病院の治療費として 二一万八七五〇円

(三) 田村指圧鍼灸治療院の治療費として 七二万四〇〇〇円

(四) 休業損害等として 一五〇万円

(五) 損害賠償内金として 五〇万円

2  したがつて、原告の損害は右の支払いによつてすべて填補されているものというべきである。

六  結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないことになるので、これを破却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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